野次馬自己流国際交流(1)
2時間の昼休みが食事と買い物のイタリア


 「Buon giorno こんにちは」、が「Buona sera こんばんは」に変える時間は午後3時30分が日常生活の目安となっている。すなわち2時間の昼休みが終わればBuona seraに変わる。少しこじつけた感があるが、だいたいこんなところである。年末の休みを利用してローマに飛び、5泊の滞在型国際交流に挑戦してみた。

 ローマはイタリアの中にあっても、古代遺跡の街、紀元前が目の前!に、紀元前を充分体験できる街であった。毎日7℃、10℃と寒くもなく毎日5時30分には起き終日歩き回り、ホテル(朝飯がまずかった)にたどりつくころはもう腰が痛いこと痛いこと。その甲斐もあって体験国際交流に成果あり。
 古代ローマは現在の地盤よりも7mも低いところにあった。市内各地で地下部分に古代遺跡が剥き出しの状態で見ることが出来る。すごいの一言だ。「こんなん触っていいんやろか」と思いつつ、紀元前数百年前もの大理石支柱にそっとさわって、感激。ポンペイでは当時の鉛で出来ている水道管が剥き出しで、観光客に踏まれている。火山灰で死んだ市民はそう多くはなくみんな逃げ出したとのことだが、火山灰で固まった人体を後に石膏で固めて掘り出したものが展示されていた。説明によれば腰に帯があり、逃げ出せなかった奴隷とのこと。
 古代ローマ人はまったく仕事はせず、奴隷が生産と農耕に従事させられていた。男は朝から広場で政治談義と噂話で過ごし、昼からは大浴場(カラカラ浴場など)の図書館、スイミング、サウナなど無料で利用して、夕刻から寝そべりながら食べ飲み続ける大宴会を深夜まで行なっている。なぜ風呂代が無料なのか、コロッセオ入場が無料なのか、時の帝王(帝政時代)が市民から人気を取ろうとしていたからであり、選挙制度は紀元前に遡り、ポンペイでは選挙広場があった。
 現在も市内各所のマンホールにはS.P.Q.R(ローマの元老院と民衆)、めざすべき都市が象徴化され、今も洒落っ気であっちこっちにS.P.Q.Rが表示されている。もちろん教王制など変節があるだろうが、今流の都市機能が2000年ほど前に存在していたとわかる。しかし、これほど古代と中世を目の前にすると、時間は止まり、自分の存在は消える。「ローマを見ずして死ぬな」と言うが、ぜひ皆さんも旅行費が安い冬季に行かれてはどうか。

 さて、本編である。現在のイタリア(人口5761万人)は日本と同様に、財政難と不況が進行している。失業率も99年東北部11.1%、南部33.3%である。雇用の拡大が図られているが、有期雇用が急増し、新たに雇用される有期雇用者は小企業で25%、大企業では30%を越している。1999年から2000年までの2年間で、新規雇用者は82万人、このうち12万人は有期雇用者、5万5000人がパートタイマー、47万8000人が期限の定めのない雇用、そして18万人が職業訓練プラス労働契約の採用者となっている。
 労働時間関係法は196/1997号法律(15条)で定められ、40時間標準週労働時間、一定期間内(1年以内)で平均労働時間として40時間変形労働時間制が定められている。公務員の標準労働時間は週36時間。残業と言う用語はなく「補足労働」と言い、どんな場合も週52時間内と定められている。

 基本的にイタリア人は明るい。少なくとも会った人は親切だったし、よく喋る。落書きも多い、遺跡にもペンキで派手に書かれている。警官も兵隊も、バスの運転手とガイドも、ウエイトレスも、スチュワーデスもみんなしゃべりだ。客が来ようとなにしようと喋り続けている。そして身振り手振りで、大らかだ。ツアーバスに乗ったが、日本語通訳のガイドが1時間程遅刻してやって来たが、運転手や他国語のガイドもイライラせず待ちつづけ、到着したガイドはみんなとほほずりをして、出発オーライ。客にはおわびも、状況説明もないまま待たされるだけ、面白かった。そやけど安全だけは頼みまっせ。

 表題に、昼休みに「買い物」とあるのは、2時間の昼休みの使い方。労働者も店員も2時間の昼休みがある。昔はサラリーマンもいったん家に帰って昼食をとっていたが、いまでは多くがBAR、カフェで軽く食事をしている。「買い物」とはデパートが土日には閉まっているため、平日5時、6時までに買い物を済ませておく必要があるからである。質問してみた、「社長も?」。もちろん誰も昼休みには人は残らないとのこと、銀行でもそうである。これはすごいことである。午後6時なればもちろんみんな家に帰ってしまう。
 昼休みにレストランに入って、楽しくウェーター相手に食事をすすめていたら、イタリア人夫婦が入って来て、着席をしたのにもかかわらず、ダメと言って帰してしまった。時計を見るとちょうど1時30分だった。イタリア語でわからなかったが「これから私たち昼休みに入りますので、帰ってください」という感じだった。「誰にもじゃまされてたまるものか」というふうに見えたのが面白かった。しかも客は前後私たちだけだったのにもかかわらずである。
 規制緩和もずいぶん進んでいるようで、一斉に商店が閉まっているようには見えなかった。物価は物にもよるがだいたい日本の半分程度以下と考えられる。しかも観光目的で往来してもものであるから、生活者はもっと安い生活費であろう。賃金は日本の4分の3程度か、1週間バス地下鉄乗り放題が1000円程度、相当うまかったレストランで2000円程度もちろんワイン1本付いてである。BARではピッザと数種類のおかず、ワインで800円。単三乾電池が1本25円、私が買ったお気に入りイのブレザーが2万円というのもある。

 大卒初任給が10万円、ローマで20万円の生活費は厳しい。3部屋あるらしいが家賃だけでも4.5万円かかる。パートは時間給1400円程度で、均等待遇に近い、男女賃金格差はない。最低賃金制はない。所得格差は他のヨーロッパ諸国と比べ大きいと感じた。北と南、職業、学歴によって違ってくる。
 今回の旅行で労働問題をつかむなら、その国の文化や歴史を勉強する必要を教えられた。ガイドが「ローマはまだ若い」と言った。「まだ130年」、なるほど古代ローマからだと3000年近い歴史をもつ国であった。また、「自由はいい!」とも言った。その自由はイタリア的、イタリア人しか分かりそうもない。それにしても、みんなよく喋ること、脱帽。

服部信一郎(労働時間短縮研究所専務理事)
(2001年1月2日記)


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