MAYDAYの歴史 116年前に始まる8時間労働制


(メーデーの起源)

 メーデーは、今から116年前の1886年(明治19年)5月1日に、アメリカの労働者と労働組合が8時間労働制を要求してストライキに立ち上がったことが起源である。シカゴ、ニューヨーク、ボストンなど1.5万を越える工場の労働者38万人以上がストライキに入った。10数時間を越える長時間労働に苦しめられていた労働者が「仕事に8時間を、休息に8時間を、おれたちがやりたいことに8時間を!」(「8時間労働の歌」)を歌い、8時間労働靴や8時間労働帽子などのグッズを身に着けてアピールした。その結果、20万人あまりの労働者が8時間労働制をかちとった。
 しかし、資本家は8時間労働制が広がることを恐れ、権力をつかって反撃にでた。2日後の5月3日にシカゴの機械労働者4人が警察官に射殺され、翌4日にはヘイマーケット広場で労働者の集会に何者かが爆弾を投げ込む事件まで起きた。これを契機にデッチ上げ事件が次々にねつ造され、労働組合指導部を犯人にしたて絞死刑にした他、多数を投獄するなど大弾圧を加え、巧みに世論を操作し労働組合を孤立させながら、八時間労働制の約束を次々廃棄していった。
 それでもアメリカの労働者は負けなかった。労働組合と労働者は戦線を立て直し、1890年5月1日に再度ストライキで8時間労働制を要求してたたかうことを決めた。ちょうどこの年、フランス革命百周年の記念日に、エンゲルスなどパリに集まった世界の社会主義者と労働組合幹部は第2インタナショナルを結成し、その結成集会(国際労働者集会)で、アメリカ総同盟の呼びかけに応じて、1890年5月1日をアメリカの労働者と連帯し、世界各国で一斉に集会やデモをすることを決め、アメリカ、ヨーロッパ、中東欧、オーストラリア、ラテンアメリカなど世界各地で数十万の労働者が集会とデモをくりひろげた。これ以降、毎年5月1日に世界各国でメーデーが開催されるようになった。
 一九一七年のロシア革命でレーニンの指導によって8時間労働制が初めて国の法律として確立した。そして、1919年のILO第1回総会で、「1日8時間・週48時間」労働制を第1号条約に定め、国際的労働基準として確立するに至った。83年もたつ現在も日本政府はこの第1号条約を批准していない。

(日本のメーデーの歴史から学ぶ)

 日本では、「8時間労働制実現」、「失業防止」、「最低賃金法設定」、「シベリア即時撤兵」などの切実な生活要求などをかかげ、国際的なメーデーから遅れること30年後の1920年(大正9年)5月2日の日曜日、東京上野公園で1万人を越える労働者が参加して初めてのメーデーが開催された。今年は73回目のメーデーが準備されているが、1920年が第1回なら第82回メーデーのはずであるがそうではない。この空白の10年間、開催できなかった10年は暗黒の時代であった。戦前、軍国主義国家体制が強まるなか労働者や労働組合への弾圧も熾烈をきわめ、ついに1936年の2・26事件で東京に戒厳令がしかれた後、メーデーは第16回をもってついに開催を禁止させられた。その翌年には軍国主義化した日本は全面的な中国への侵略戦争に突入し、1945年の敗戦の日まで暗黒の時代が続いた。敗戦後、復活第1回メーデーの準備は、窮乏化する国民生活打開の運動と結合してすすめられた。大手新聞社も特集記事を掲載し、1946年5月1日、皇居前広場で「働けるだけ喰わせろ!」などのプラカードも掲げ、50万人もの労働者が参加して第17回メーデーが開催され、北海道から九州まで全国各地でも開催された。
 しかし、アメリカによる占領政策が再び労働運動や民主運動を弾圧した。日米安全保障条約が発効した直後の1952年の第23回メーデーは神宮外苑で開催されたが、皇居前広場(人民広場)にデモ行進した労働者に、武装警官が弾圧し、銃撃によって流血の事態(「血のメーデー事件」)が引き起こした。しかし、労働者はあらゆる攻撃に屈せず、メーデーの歴史と伝統を守り、たたかってきた。
 戦後、その時々の政治的経済的な要求を掲げ、組合の所属の違いをこえた広範な労働組合と政党・民主団体が実行委員会を結成し共同集会として発展して来た。しかし、1989年に、労働組合の右翼的再編(連合の誕生)と反共分裂ともからみ、団結の保障であった実行委員会の「議決の満場一致制」が乱暴に破戒されたことから、中央メーデー、地方メーデーも残念ながら分裂し、それ以降、全労連メーデーと連合メーデーがそれぞれ開かれるようになった。連合メーデーは昨年から5月1日開催をとりやめ、ことしは4月27日開催する。1日に他国では当然なこととなっている「メーデー特別休暇」を保障させて、世界の労働者と連帯し、労働時間の短縮を新たに決意しあうことに意義があるにも関わらずである。

(共同を広げ第73回メーデーを成功させよう)

 「働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう」をメインスローガンに、リストラ・賃下げゆるすな!働くルールの確立!医療改悪反対!テロも戦争もノー有事法制ゆるすな!などをスローガンに第73回メーデーが開催される。
 今、暮らしと雇用、社会保障が深刻な事態にある中で、労働者が共通する要求をしっかり掲げてたたかうメーデーを準備することはとても重要である。「時間給1000円引き上げなどの賃金底上げ要求」や、「リストラを抑え雇用を拡大はかる要求」、「サービス残業根絶、労働時間の短縮で雇用拡大をはかる要求」は、労働者の8割を占める未組織労働者や派遣労働者、パート労働者にも大きな影響を広げることが出来る。
 また、アメリカ言いなり国民いじめの「小泉改革」と対決し、国民主人公の政治を取り戻すうえでも、今年のメーデーは大きな意義があると言える。
 以上のように、メーデーの起源と歴史、伝統を大切に考えてみよう。労働者と国民が団結と共同の力を示す日であり、5月1日は世界の労働者と連帯し団結する日である。

服部信一郎(労働時間短縮研究所専務理事)
(2002年3月20日記)


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