モヒカン頭とエレキギター




 写真屋さんが「写真屋が笑ってはいけないのですが」と言いながら、笑いを押さえることが出来ずにゲラゲラ。長年ひいきにしている写真屋の基本動作の「これですね」の確認にならないのです。私も最初は誰の写真か分からなかったのですが、それは一瞬のことで、「あれや、あの時の写真や」とすぐ分かりました。写真屋も笑うわけです。サングラス、革ジャン、エレキ、そしてモヒカン。妙な中高年と言うよりも、大きな「たこ焼き」にサングラスをくっ付けたような異様な姿の私が「ぱしっ!」と写っているではありませんか。残したモヒカンが白髪混じりの上に丸顔と来ているからインパクトがまるでありません。真剣・迫力が右の端とすれば、中間の普通・人畜無害を通り過ぎて左端の滑稽・人畜有益のすごく親しみに針が振り切れているのです。私も思わず笑いました。62年の生涯で一番の写真の誕生です。

 インパクト満載の写真ですが、2歳の孫は反応はゼロ。5歳の孫には分かるのですね。写真屋と一緒で、ゲラゲラ。その孫が笑う姿を見て、また周りのみんなで笑うのです。
 事件は今年の4月10日の朝に起きました。車を避けて、自転車を歩道に切りかえてまだ車に気を取られていた時に、突然バイクが視野に入ってきたのです。当たる前にブレーキをかけたのですが勢いあまって、転倒し溝の角で右後頭部をガツン。結果は8針の怪我で済んだのですが、「洗髪は傷の癒えるまでの2週間程は駄目ですよ」おまけに、お酒も2、3日は駄目と言う付録まで付いたお医者さんのきついお達しと相成りました。
 2週間も洗えないのであれば「えい!この際、やっちまえ」と、40年ぶりの丸坊主にしました。散髪中はど近眼の私には己が姿は定かではありません。「終わりました」の声でめがねを掛けて見た鏡の私の姿は「えっ!こんなに丸いの!」正にたこ焼き、ボウリングのボール、球(キュウと言うかタマと言うか)そのものなのです。20代までは痩身で顔もきりっとした若者でしたのに。就職してからは髪の毛を伸ばしたので、以来私の顔と伸ばした髪の毛の黄金分割が世間には定着していたのです。ところが丸坊主にしたためにこの黄金分割が瞬時に崩れて、正面からは髪の毛の部分が激減して、年齢と共に丸くはなっていた顔が、更に丸から球になっていたのです。

 髪の毛の短いのはいい。地球環境から言っても、省エネからいってもスキンヘッドには負けますが、丸坊主は長髪の比ではありません。まず、シャンプーがほとんどいりません。すぐ乾きます。頭寒足熱で常に頭脳がシャープに。さらに、たわし代わりに、皿など平たい食器が洗えたり(ほんとか?)家で散髪が出来るので、経済的。息子の刈ってもらうので、親子の会話が生まれる。いい事ずくめの、悪いことなし。(床屋さんには申し訳ありませんが)
 「お父さん、散髪しようか?」「おう、やってくれるか」「お前、上手やな」「そりゃあ、自分の頭を毎月、自分で刈っているから、腕も上がってるよ」  後頭部が丸坊主になった頃、突然
「お父さん、モヒカンにしょうや」「えっ!モヒカン?おまえ、なに考えとるんや」「おとうも内心やってもいいかな。思うとんとちゃうか?」一瞬間があって「やってもいいけど、明日の朝までには、丸坊主にしてくれよ」(省エネと自慢はしていますが、美的には少々自信がないのです)「分かってるって」と言うことで、最初の写真の話となったのです。

 今、息子は次なるバージョンを検討中ですが、少々乗り気になっている私がいるのが恐ろしくなっています。連れ合いは今は何も言いませんが、いやなにも言わないこと、そのことが恐ろしい私ではあるのです。

江口裕之(労働時間短縮研究所所長) 2003年7月14日記


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