「明日できることは今日するな」


 久しぶりに新聞の連載小説を読んでいます。一日一日の分量は大して時間が掛からないのですが、この連載小説というのは溜まると厄介なものに変身しています。こうなると毎日の新聞が揃っているか、いないかが読み続けるかどうかの鍵となりますが、連載の途中ではもはや無理です。最初からでも20日も溜まると結構時間が掛かるので通常であればあきらめてしまいます。私であれば「まっ!いいか。いずれ、単行本になるやろうから、その時に読もおっと」と言うことになります。
 でも今回は滞りなく読んでいるおかげで、懐かしいフレーズにめぐり合えたのです。そのフレーズは私を一気に42、3年前の冬山合宿に戻してくれました。
 山小屋であったか、テント生活であったかもう定かではありませんが、朝食の時にエッセン当番(食事のこと。高校を卒業したての私たちにはこのドイツ語が嬉しかった記憶があります)が「塚さんはムチャバー言んや」と悔しそうに言うのです。「何が?」とニヤニヤしながら塚さん。「4時に起こして、ちょーでー言うたのに」それにたいして塚さんは「せーじゃけー、起こしてやったがな」「そりゃー、起こしてくれたけど、3時は早過ぎるわ」塚さんは「わしはどない言うて起こした?」「おい、徳さん、後1時間したら4時やで言うて」「それ間違うとるか?」徳さん「いや、間違うてねえ」塚さん「ほんなら、それでええがな」みんなは大笑い。(会話はほぼ純粋な岡山弁です)塚さんは部員の中では長老で、朝にめっぽう強かったのです。朝の弱い部員がエッセン当番に当たると、塚さんに目覚まし代わりをお願いしていたのです。塚さんは物知りで、しかも冗談のきつい方で、時々いや、ことあれば、私たち若い部員の想像を越えるいたずらや言葉を発して、部員の気持ちを和ましてくれていました。
 それが小説に関係あるかって?一日分の中の懐かしいフレーズが、塚さんこと八塚実先輩の言葉だったのです。それは「明日できるものは今日するな」です。「早起きは三文の得」「今日できることは明日に残すな」「先んずれば,人を制する」なんて言う常識に当時すでに侵されていた私には塚さんが言っていることが分かりませんでした。例の冗談を又言っていると思ったものです。しかし、塚さんはこう説明してくれました。「あのな、明日やればいいものを、少しでも早い方がいいと、その日に無理してやると、考えることも不十分になり、焦ってミスをすることが多くなる。本当の仕事が出来なくなる。そんなに急ぐことはないのじゃないか」言外に「人生は逃げやせん。楽しまなくっちゃ」と言ったのだと思うのです。
 労働時間短縮の運動に係わる中で、日本の企業が労働者の健康や家族の団欒の時間を保証するのではなく、とにかく先へ、先へと急がせる働かせ方に対して、この「明日できるものは今日するな」は大事なことを教えていると思うようになりました。
 この言葉を教えてくれた時に、塚さんはもう一つ面白い格言のような意味不明、でも妙に面白い言葉を残しています。「人を叩いて、自分の痛さを知れ」これ、分かります?

江口裕之(労働時間短縮研究所所長) 2003年5月15日記


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