「日本めだか症候群」(1)

 昨年の12月、韓国大統領選挙の4日後に韓国はソウルを仲良し5人組で、訪問する機会がありました。目的は韓国非正規労働者センター訪問ですが、観光も少々楽しみました。選挙の余韻の残るソウルは我々日本人を温かく迎えてくれました。
 少々奮発したホテルはなんと「ソウル市庁舎」の真正面でした。ホテルと市庁舎の間はロータリーが三つもある広い交通の要所となっています。この場所は交通が完全に遮断されて、昨年は韓国の群集10万人がサッカーの勝利に酔いしれ、又アメリカ兵による女学生轢殺に抗議行動を展開され、そして12月19日には「ノ・ムヒョン大統領誕生」に歓喜したという、韓国の新しいドラマの舞台になったのです。
 相当寒いと脅されて防寒対策に余念のなかった訪問でしたが、思いのほか温かく助かりました。その代り、「オンドルってすんばらしい!」の恩恵にはあまり浴すことができませんでした。
 韓国非正規労働者センターでのインタビューは大阪労連副議長の服部氏が「私的国際交流」として、小冊子にまとめていますが、その中の柔らかい部分を私が担当いたしました。では、「私的国際交流」に掲載した、庶民派の感じた韓国ソウルの印象の一端を3回に分けて紹介しましょう。

江口裕之



 ソウルの地下鉄の10路線は赤、白、黄、青など色で分け、駅は二桁の番号で表示して誰でも目的の駅が分かるように工夫されています。しかも、全線一区で日本円で約60円は魅力です。日本の場当たり的なやり方になれているわれわれには、発展する韓国の力強さを感じさせるアイディアです。
 そのような地下鉄であっても、救世主である通訳と別れた大阪代表の5人は瞬時に「日本めだか症候群」に陥るのでした。やっとこさホームに降り立ったのはいいが、駅の表示と地図を見比べながら「あーでもない、こうでもない」とやっていました。そこへ、重そうなビニール袋を二つぶら下げていた白髪の細身の(韓国の人は肥満の人は大変少ない)紳士が声を掛けてきたのです。「私は今は政府に気に入られていない。車を盗まれたのに、ちゃんとやってくれないから抗議しているし、政府を信用していないのだ。私は38度線を銃撃の中を北から来た。韓国軍で軍医をやった。北には妹を残したままで、今は妹の消息を知りたいだけ」と上手な日本語で話し掛けてきました。
 「日本語、上手ですね。苦労されたのではありませんか」「子供だったから、苦労は感じなかった。これから日本の勉強をしようと思って、これを友人にいただいた」と手にしていたビニール袋を見せてくれました。それは岩波の広辞苑。重いわけです。そして、こう付け加えたのです。「もう、南とか北はない。日本とも仲良くしないと」その間列車は6,7本通過していました。別れた後、日本めだか5匹は「エー話やなぁ、それにしても、世界の火薬庫と言われる南北朝鮮の現実がこんな身近に」韓国訪問の手ごたえを感じたひと時でありました。
 乗り込んだ車内でも「日本めだか」は群れをなし、不安を解消しようと又もや「あーでもない、こうでもない」を再現していると、日本でいうと優先席に座っていたお年よりが、無造作に声を掛けてきました。ジャック・パランスのようながっしりした方で、日本人の苦戦ブリを察知して、英語で話し掛けてくれたのです。困っている人を見るとすぐ声を掛けてくれるそんな韓国を「日本めだか」は一気に好きになったのです。

江口裕之(労働時間短縮研究所所長) 2003年3月11日記


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