「わちにんこ!」「えっ!わちにんこって、気―抜けるわ」
やっと、日本の秋がきました。連休に木曾の御嶽山に挑戦したのですが、悪天候で頂上はあきらめました。しかし、悪天候のおかげで、ライチョウにはしばしば対面できる幸運に恵まれました。また、久しぶりの登山のおかげで、十数年前の面白い出来事を思い出しました。 「わちにんこ」とは異なことを。まあ、暇つぶしに読んでください。 今から十数年前は毎年、職場の後輩と夏の北アルプスに登っていました。岳沢から穂高に登り、ほぼ目的のコースを踏破して、涸沢を目指して下っている時のこと。山では見知らぬ登山者でもすれ違う時に「こんにちわっ!」と挨拶を交わすことが礼儀のようになっています。何時の頃から誰かねとなく挨拶をするようになったのかは定かではありませんが、私が登山を始めた40数年前の頃はそんなことはなかったと思います。 この挨拶は自分が下っている時はいいのですが、「ゼーゼー」言いながら登っている時に降りのハイカーから挨拶をされると、返事をするのにけっこう疲れるのです。それでも少人数の場合は返事もしますが、旅行業者が企画した登山グループなどに遭遇すると悲劇です。こんな方たちはなぜか元気がよく、一人一人が手抜きをすることもなく「こんにちわ、こんにちわ」挨拶をしてくれます。初めのうちは「こんにちわ」とお返しをするのですが、だんだん面倒になり気が付くと「おー、おー」なんて失礼な返事をするように変化しています。 そのようなグループは「ゼーゼー」言う登り坂であっても、律儀に「こんにちわ」ですから、驚きです。そのエネルギーは登山に向けた方がいいのになあ思うのですがね。 この10数年前の時は天気は最高、抜けるような青空で風も無し、苦しい登山はほぼ終わりに近づいて気分は乗り乗り状態。涸沢に近づくにつれて、澄んだ空気の中を包込むような南米インカのケーナの音が聞こえてきたのです。「下で何かやっているぞ、急げ!」と飛ぶように降っているときに、中程度のグループの登りに遭遇したのです。 予想どおり「こんにちわ」「こんにちわ」の挨拶に答えていましたが、少々いたずら心が出まして、「わちにんこ!」とお返しをしたところ、そうですねえ、30代前半のめがね美人が、5,6歩登ってから「今のは何?気―抜けるわ」の返事に、「やった」と言う達成感とユーモアの分かる賢い方でよかった思ったものです。この方、仲間と山の話をするときには、「こんなことがあったのよ、面白いでしょう」などと思い出しているのではないかな。 「わちにんこ」とは「こんにちわ」を逆に言っているだけのことで、40年程前に横浜で働いていた若い頃、日常会話を逆にしゃべるという東京の漫才で耳にしていたのが、あの場面でとっさに出たのです。 さて、ケーナと共にチャランゴやインディオの打楽器の音がどんどん大きくなり、「コンドルは飛ぶ」なども演奏されました。特にケーナの音色は高山にぴったりで、下山を前にした達成感ともっと山にいたいという心境を優しく包んでくれました。演奏後インディオの衣装を着せてもらい、私はチャランゴを手にし「はい!ポーズ」 明日からはまた仕事というサラリーマンのハードスケジュールは上高地のバス停に我々を否応なく急がせるのでした。横尾あたりの木々の前方から、男の子の「こんにちは!こんにちは!」の大声が聞こえてくるではありませんか。とたんに、いたずら心が出て、やったのです。「わちにんこ」と。10メートルほど言ってから、「わちにんこって、何っ!」男の子は振り向いてくれました。「やった!やった!」 男の子のお父さんは「わちにんこ」を知っていたようで、しばらくしたら遠くになった「わちにんこ!わちにんこ!」の声が聞こえてきました。 職場に戻って作った組合の機関紙には「わちにんこおじさん、上高地に現わる」大見出しに、「来年の上高地には、わちにんこが大流行か?」の小見出しが踊っていました。
江口裕之(労働時間短縮研究所所長) 2002年9月18日記 この記事へのご意見・ご感想は、yutori@jitan-after5.jpまで。 |