ストレス解消は家事労働にかぎる
他人にやらせるにはもったいない



 久しぶりに朝日のまぶしさを満喫しながら、日課の物干しをしていたら、隣のベランダに洗濯物を抱えたご主人が現われたではありませんか。26,7年間住んでいてベランダでは一度もお会いした事のないご主人です。日頃は奥さんと顔を合わすのが当たり前でしたので「ややややっ。お主もやるではないか」と正直思いました。
 当のご主人とは通勤時に話しかける程度でしたが、一か月前に『いよいよ、今月末で定年です』と話されていました。会社の役員をされていた様で、私よりも7,8才先輩です。
 一般的に男性が道路から丸見えのベランダで洗濯物を乾すなんて、まだまだ抵抗があるものですが、そんな事全く意に解さず「おはようございます。天気が良いと、これも気持が良いもんですな」
 以来、「あきませんね。こんなに雨が続いたら」と家事労働の魅力に取りつかれた男の会話が弾みます。引越して最初に奥さんとベランダで顔を会わせた時は、少々照れくさかったのを思い出します。
 独身時代は必要に迫られての洗濯でしたが、子供が生まれてからは、おしめを手始めに洗濯をしまくりました(妻が洗濯を嫌っているわけではありません)。8年前に引き取った親父と住むようになったら、親父の増え続ける汚れ物も私の格好の餌食になりました。明治生まれの親父も、掃除や洗濯には全く抵抗もなく、その遺伝子が私に洗濯の虫と化してしまったのでしょう。
 ある時「江口さんにはストレスがないのは洗濯や食器洗いをしているからですよ」と言われたのです。言われてみて、なるほど洗濯は自分の強い要求なっていると。労働組合の創世記には要求が次々実現して、日々生きているという充実感がありましたが、80年代後半からは要求の実現は年々難しくなり、長時間過密労働や人事管理の強化も進んで一様に日々の充実感は薄れ、逆にストレスの蓄積がされてきたように思います。そう言う中で、ストレスを感じさせない私の評価となったのでしょう。
 私なりに何故かと色々考察を重ねた(そんな重々しい問題ではないが)結果、これらの家事労働の特徴は労働の成果がすぐ実感できるということではないかと。汚れの山がゼロになって、反対側にぴかぴかの山ができるのです。労働の成果がすぐに実感できない現在ではストレスが蓄積されます。この家事労働は、成果が見え、家族にも大歓迎され、おまけにストレスが解消できる、素晴らしいじゃありませんか。女性に話すと「ほんと、すごいわね。うちの主人は何もしてくれない。奥さんがうらやましい」。女性の私を見る眼がきらきらしてくるのです(うぬぼれ、うぬぼれ)。誉められると男は、更にがんばる。お調子者でもありますが、たまりませんね、この気分は。隣のご主人にはこのような事はないでしょうが、洗濯の効用は体感したと思います。
 食器を洗うにあたって、どうすれば狭い範囲に効率よく食器を収める事ができるか、どう並べれば速く、まんべんに乾す事ができるか。たかが家事労働と馬鹿にはできません。奥は深いのです。今の私には効能の宝庫である家事労働を他の人にやらせる人の神経が理解できません。

江口裕之(労働時間短縮研究所所長)
(2002年5月29日記)


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