遂に携帯ウィルスに汚染される

 「お父さん、なんで携帯電話を持たんのや。俺が相談している組合の方は携帯電話で、てきぱき対応しているで。労働相談はせっぱ詰まっているから、急がんとあかんのや。そう思わんか?」
 「お前の言うことはよう分かる。でもな、今まで持っていなくても、何とかなっている。電話に拘束されたくないのが本音や」
 「何とかなっていると思うてんのは、お父さんだけで、相談者はいらいらしているはずや。俺の工場売却の相談にすぐ対応してくれたし、相談中も組合の人は、携帯電話を駆使して相談活動をしている。同じ事をやっている親父が電話に拘束されたくない言うのは無責任や」
 「お父さんは持つべきよ。おじいちゃんの様態が悪くなった時、どこに居るか分からなくって、本当に困ったんよ。とにかく便利がいいし、絶対に組合員に喜ばれるわ」
 「今、安売りキャンペーンしているし、家族割引もついている。今がチャンス。親父のも買うからな」てなことで、私も携帯族になってしまった。
 以前からポケットベルで営業担当者がどこに居ても会社に管理されているのを見て、口では言い表せない拘束感を私は抱いていました。携帯電話はその比ではありません。ポケベルは伝わってきた指示に合わせて、公衆電話で答えるので、電話する場所はそれにふさわしい場所になっています。
 携帯電話となると生の音声が場所をわきまえずに掛かってきます。楽しい呑み屋での会話中に、それこそ土足で介入してきて、会話の相手を引きずり出してしまう。味気ないことこの上ありません。しかも、携帯電話を耳に当てながら退席する姿がみんな同じと言うのはなぜなのでしょう。
 会議が佳境に入っていても携帯電話は容赦しません。この場合も席を外す事になるのです。車の運転中、自転車に乗っていても、電車の中、歩行中、レストラン、コンサート、先日は裁判中も。「携帯電話よ。お前はそんなに偉いのか」と言いたくなるでしょう。
 梅田の地下街で、なんと車椅子の女の子が人ごみを交わしながら携帯電話をしているのを見かけたときは、本当に携帯電話の恐ろしさを感じました。
 だから、私は非常識な状態を非常識と思わせなくする携帯電話を持ちたくなかったのです。このような私ですから、携帯を携帯しても、電車の中で鳴ったら嫌だな。歩きながらしゃべるのは私の「電話道」にそむくから嫌だな。こんな思いで一日中緊張していたのですが、電話は掛かりませんでした。電話番号を誰にも教えていないのですから掛かるわけがありません。
 携帯嫌いの私の電話番号を知るや否や、掛かってくる、掛かってくる。心配していたように土足で。ところが、嵐のような電話は最初だけで、静かな毎日になって、鳴らない寂しさを感じている自分を発見したではありませんか。遂に私も「携帯ウイルス」感染してしまったのでしょうか。

江口裕之(労働時間短縮研究所所長)
(2002年3月20日記)


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