手紙――親父と家族の思い出


 十月十日間の入院の末、年初に親父が亡くなりました。親父は写真や手紙などを沢山保管していました。晩年は目が不自由になっていたのですが、お袋に先立たれ話し相手が居ない分、思い出の深い手紙や写真の整理で気を紛らわしていたようです。でも目が不自由なために整理したつもりが、逆にごちゃごちゃにしてしまっていました。

 親父しか分からない沢山ある写真を少しでもと整理しかけたところ、私がお袋に出した手紙が出てきました。消印は昭和57年10月13日で長女の作文、それに組合の機関紙と私の手紙とがキチンを送ったときのままで残っていました。

 機関紙には小学校一年生の次男が近所の社宅で車のタイヤにくぎを打ち込み、抗議を受けた事件か掲載されていました。読んで記事に書いていないことを思い出しました。この事件には伏線があったのです。その年の夏に行った大宮の親戚の団地で、路上駐車した大量の車のタイヤに釘が刺されるという事件があったのです。テレビで放映されるし、大人達がしゃべっていたのを彼はしっかりとインプットして大阪に帰ってきていたのです。タイヤに釘をさすって、どんなことになるのか、それはそれはやりたくってたまらなかったのでしょう。機関紙の見出しは『好奇心、好奇心、好奇心!「大切にしたい」ヤッテ、ミタカッタ』この気持を大事にしたかった私は抗議に来た人、被害者の前では厳しく叱かって、後で、「やりたかったんやろう。父さんは分かっているよ」と言ったと思います。

 長女の作文には「3分間スピーチの原稿のようです。ごみ箱に捨てていたものだから、作文のことは娘には話さないで下さい」と私の添え書がありました、題は「友達」です。

 「いつも何気なくしゃべっている友達も、友達がいてよかったな思うときがある。勉強で分からないところなんか先生に聞くよりすんなり聞けるし、先生よりわかりやすい時もある。どこか、行くときも、家族より友達と行くほうが楽しい。親にも言えない秘密も言えるからやっぱり友達がいるといいと思う。………・・」友達がいなかった四年生時代から友達が沢山できるようになった心の変遷を書いていました。

 面白いのは手紙に書いた長男四年生のことです。「先週からベランダに寝ています。友人の家でキャンプするので、外で寝る練習を始めました。顔にぶつぶつが出来ているので、どうしたのかと聞くと、寝袋から顔を出しているから蚊に刺されたと。図書館に行っても借りてくる本は山の本ばかり。漢字の練習も山の名前ばかり。夏に職場の仲間と一緒に登った北アルプスが、よほど良かったのでしょう」また「クラスで体力一番の彼は自分の教室につばを吐いた六年生をやっつけたらしい。この六年生と組んだだけで、自分の方が力があると感じたと」と言うことも書いていました。

 親父とお袋はこの便りが、ほんとうにうれしかったのでしょう。キチンと残してくれたおかげで、私達は20年前にタイムスリップさせてもらいました。親父、ありがとう。

江口 裕之(労働時間短縮研究所所長)
(02・1・23記)


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